■<夢想流こそ我が命>第11話  「舞台もまた路上なり」

人気のバンドやアイドルのコンサートは、ドーム球場のような巨大なキャパの会場でも、なかなかチケットがとれないそうですね。ああいうのは、ファン倶楽部の全国集会みたいなもので、2時間立ちっぱなしでも熱狂の渦。舞台に立つスターたちの一挙一頭足を一秒でも見逃してなるものかと、余所見や私語をする客なんかいるわけありません。二時間なら二時間、ずっと舞台を注視してるもんです。

また、無料のイベントで、屋外の運動場なんかでやってる区民祭りのステージ、あるいは、ショッピングセンターの吹き抜けホールにあるステージで、ステージの周辺が、たとえ、屋台やらフードコートで賑わってザワザワしている状況だったとしても、ある程度名前の知れた元アイドルが来るとなると、それを今か今かと目当てにしたお客さんで客席は埋まります。アニメのキャラクターショーなんかでも、子連れのファミリー層で同じようにあふれかえります。

ところが、同じ舞台に立つ仕事をしてるといっても、我々なんかの場合、そんなファンの集いなんかじゃありませんから、全く別ジャンルなんです。客席が埋まっていたとしても、焼きそばなんかを手にして、単に、他に座るところがなかったからそこにいるんだという人々がほとんどなんです。
それなのに、まるで自分を目当てに集まった客だと勘違いして、満場のお客さんに対して上述の「スター」さんのような「上から目線」の舞台進行をする輩が多いのは情けないことですね。俺は今、舞台にたってるんだぞ!それに注目しないやつは、馬鹿か間抜けか阿呆だと思ってるが如きトークが繰り広げられるんです。
よくあるのが、まず、拍手の強要なんかね。「スター」さんたちが舞台でやってることを、自分も舞台に立ったんだから同じようにやっていい権利と義務があるかのように。お客さんにしたら、いい迷惑ですよね。拍手なんかしようものなら、焼きそばが下に落ちてしまいかねません。第一、あんたを見るためにここに座ってるんじゃないよと声を大にして言いたいところでしょう。

これには、義務教育でたたきこまれた習慣というものがあるような気がします。確かにそこが学校だったら、先生が教壇に立ってたり、生徒が発表してる際は、ちゃんと注目するのが義務であり、私語をしたり、「早弁」やうつむいてイタズラ描きをしてたりなどもってのほかという規律が存在するわけです。しかし、そこは、もう学校の授業なんかじゃないんです。何をしようがお客さんの自由のはずなんです。目の前の満場のお客さんを全部、自分の生徒みたいに思ってしまってるなんて、まさに愚の骨頂なんですがね。

とはいえ、会場の中には、舞台を好意的に熱心に見てくれてる人がちらほらといたりするもんです。また、遠くのバザーのテントの売り子さんで、じっと舞台を楽しんでくれてる人もいます。どうでしょう?これは、パチンコ屋の店頭呼び込み風景と同じじゃありませんか?目の前の多数のお客さんが、ぞろぞろと通り過ぎる通行人か、座ってるかの違いだけなんです。圧倒的多数は、舞台を見てないよう見てるし、聞いてないようで聞いています。そういう方々を居心地よくさせつつ、ごく少数の好意的なお客さんの満足に応えることをやっていくという、また高級な余興のジャンルなんですなあ。

とはいえ、場合によっては、少しづつ注視してくれるお客さんを増やしていって、最終的には満場の声援をもって舞台を終えるという具合にもっていけたら、主催者も喜ぶし、他の出演者にもなめられずに済みます。僕は、こういう基本認識に立った上で、日々悪戦苦闘してるわけですが、まあなかなか、毎回大成功とはいきませんね。でも、これがまた勉強だし、やってて楽しいところなんです。

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本日の社長日記
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