■<夢想流こそ我が命>第12話  「客席がシーンとしていても…」

路上が本来のチンドン屋とはいえ、
舞台で30分なり45分なり、一定の時間を務めてくれという仕事も稀ではありまん。

司会者の紹介の後、割れんばかりの拍手とともに緞帳があがる。そして、満場の客席がシーンとして皆がこちらをじっと注視することになるわけですが、この舞台と言う現場で普通のことが、僕にはちょっと違和感があったものです。何で、皆こっちをみてるんやろ?と。そりゃ、普段、ちょっとやそっとでは振り向いてくれない通行人相手の仕事に慣れきってるものですから。

でも、そのうち納得しました。たまたま椅子が舞台に向かってる、他にすることがない、私語をするのも禁じられている、席を立つわけにもいかないだけなんだと。学校公演なんか、とくにそうですね。先生から静かにしなさいと注意されどおしです。また、敬老会では、町長の挨拶、議員さんの祝辞、高齢者の表彰式など小一時間の式典があり、その続きに僕らです。僕らが終わったら弁当や記念品が配られて解散なんです。いずれにしても、僕らを見たくて集まったという状況じゃないんです。内心、この全校鑑賞会や式典、早く終わらないかなあと思うのが普通でしょう。

だから、舞台でチンタラとお茶を濁すようなことをやっていても、野次も飛ばず、けっこう受けたりしても勘違いしたらいけません。なぜならば、終わって満場の拍手となっても、「良かった、良かった」の拍手ではなく「終わって良かった、やれやれ」の拍手なんですから。ですから、たとえ、客席が静かで皆がこちらを見てるようでも、お客さんの心はそこにあらず、路上でやってるのと同じ心構えでやらなければなりません。

ひとりひとりのお客さんの心境やいかに?
僕は、開演前、ロビーをうろうろしたり、トイレに長く居座ったりして、来場者同士の世間話なんかに耳をかたむけることを必須にしています。そうして、来場者のなんとなくの心境や時間感覚を体に入れて、選曲や舞台での話題を考えることにしています。僕らの芸など所詮、大したものではないですから、せめて、お客さんが聞きたいものを聞いていただき、お客さんが今思ってることを舞台で代弁してあげる、それが、ささやかながらの務めだと思っているんです。そりゃ、お客さんもじっと座ってて大変ですよ、それが子供であれお年寄りであれ、心から感謝し、お役に立たなければ。

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本日の社長日記
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