■<夢想流こそ我が命>第1話  「他人の三日は我が三十年?」

昨日の街廻り、大正区役所前のラーメン屋さん。

20年ほど前に、開店で呼ばれた店。それが火災の後の再オープンということだった。でも、この地域は、僕がチンドン屋になりたての頃、コインランドリーのチェーン店で廻った思い出もあった。お風呂屋さんの開店でも行ったなあ。正月の挨拶回り(と称しての祝儀集め)で、泉尾の商店街、市場なんかを周ったことも懐かしい。僕が青空宣伝社時代のことです。街はずいぶんと閑散となってしまってる気がしましたが、それでも、人懐こい暖かい住民の感触は30年前と全く変わらなかった。子供たちとやりとりしてると、まるでタイムスリップしたかのような錯覚も覚えた。

娘も同行してたのですが、娘は娘で、高校時代(?)の元彼がこのあたりの住民だったようで、自転車を二人乗りで大運橋を渡ってミナミの盛り場を往復したことや、二人でよく行った焼き鳥屋の思い出などを語っていました。こういうことも街回りの醍醐味のひとつ。ほんとに味わい深かったです、父娘ともども。

それから、当時から現在まで、ラッパの基本奏法でずっと試行錯誤の長い年月だったんですが、昨日、やっと、僕なりの一定の結論に達した感がありました。ついに地に足がついたというか。すると、あの当時はうまく音が出なかった曲がスイスイと。唇の問題じゃなしに、体全体のリラックス法、歩行法ともつながってたんですね。こんなことは、普通の人なら、管楽器を習って3日目ぐらいに習得することではあるんです。それを、何を間違ったか、岸を離れて漂泊すること30余年、僕って、ほんとに不器用の極み、長生きするしかありませんね。とはいえ、現在こそすべてなり。やっとつかんだ手ごたえを秘かに楽しんでおります。

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本日の社長日記
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