■<夢想流こそ我が命>第6話  「他者への想像力」

前回書いたのが12月の初め、今が2月初めですから、かれこれ2ケ月も書くのをサボってたことになります。とはいえ、ぼーっとしてたわけではないんです。

年末公演やら正月関連の仕事の台本、稽古、そして、怒涛のような年始の獅子舞連中の人の出入り。
とりわけ、三が日の賄い、連日30人の飲食の世話も僕の担当ですから、たいへんなわけです。。
今年は娘が手伝ってくれたから大分と助かりましたが、幼児の孫から目が離せない状態ですから、もう、きりきり舞いでしたね。これが相撲部屋だったら、おかみさんやらチャンコ番の弟子がやるんでしょうから、次回からは、賄いの人間を雇わないと、こりゃ無理だわの結論に達しました。

でも、はたしてうまくいくか、難しいもんですよ。そりゃ、以前にもこれを誰かに任せたことはあるんです。でも、事前の食材の買出しからして全くなっていない。すぐに、あれが足りない、これが足りないと、初日からあらためて買い足しに行かねばならない始末。というのも、30人分というイメージが出来ないんですね。普段の自分ひとりや小家族の量の買い物になってしまう。そして、どうせ他人が食べるんやから適当でという発想になってしまってる。

自慢じゃないですが、僕の場合は、買出しに行っても、30人ひとりひとりのイメージが浮かんでくるんです。これは、あいつが好物だ、あれは、あいつが喜ぶだろうとかね。子供のためにはこれも買っておこうとか。こういう部分、案外、娘も同じ発想をしてくれてて、食材の買い物に同行させても、楽しみながらやれました。せっかく正月を返上して頑張ってくれてる人間に対して、もてなそうと思うのが普通だと思うんですがね。
これが理解できない者と一緒に行くと、これはいらない、あれもいらない、もったいないと言うばかりで、結局、三日分の買出しのはずが、初日で食材が払底してしまうことになるんです。

こういうことは、そもそもの仕事や芸に対する取り組みにも現れてくるもんじゃないかと思いますね。
お客さんのひとりひとりのことを思って、喜ばそうという気持ち、あらゆるサービス業にも共通することだと思います。これが自分の家族とか親しい友人を集めてのパーティだったら、大概の人は出来てるはずなんです。

問題は、親しくない人まで範囲が拡がると、愛情や想像力が及ばなくなるということ。そういう人は、芸能やサービス業はやめといたほうが良いのではと思います。別に、皆が皆、やる必要はないですからね。

とはいうものの、こういうことにあまりのめりこんでいると、家族や友達のことがほったらかしになってしまいます。僕が過去に二回も離婚した大きな理由のひとつでしょうね。難儀な稼業としか言いようがありません。

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本日の社長日記
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